大阪切手会連載記事紹介-読者様鉄郵投稿第8弾!!昭和60年長野収印記(2026.5.2)

毎回好評読者様投稿第8弾!!

読者様鉄郵投稿第8弾!!昭和60年長野収印記

これまでの鉄郵印とは異なり、取扱便廃止後、鉄郵全廃までの2年弱の間、かろうじて郵便車両が、まだ走っていたタイミングの手記を頂きました。時代の狭間で、鉄郵局が地域区分局に移行し、郵便物の集配・区分・輸送管理を担う拠点に再編される過渡期の姿に驚きました。(山本)

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昭和60年夏。鉄道郵便取扱便が廃止され、早や1年半となる。郵便物に押印される鉄郵印はなくなり、護送便はまだ運行しているものの、何となく物寂しい。

大きな変化は、昭和59年半ばから全鉄道郵便局が、護送便の記念押印を収集家向けに積極的に開始した事で、鉄郵局から押印案内のDMまで来る有様で、希少価値は半減の気分である。

新切手発行日には以前のように大阪駅には入場せず、夜、会社帰りに駅構内の大阪鉄道郵便局大阪駅郵便室に寄り、戻って来ている護送便の活字を押印依頼し、FDCを作成する事が習慣になって来た。

夏休みのある日、10キロBoxから、「長野鉄郵」の抹消印のオンピースを見つけた。最近の記念切手ゆえ、Box調整時期は明らかに昭和59年後半以降であるが、実態を確認する為、まだ存続している長野鉄道郵便局へ足を伸ばす事にした。

↑長野駅に到着した、高崎行普通電車 332Mの先頭に併結のクモユ143。(9/15 東京直江津間上一護送)と右写真、クモユ143の郵便室内の様子。小包が裸のまま無造作に床に置かれている。(9/14 東京直江津間下一護送)

 9/14(土)曇。週末を利用し、兵庫県から名古屋経由で長野へ向かう。

お昼過ぎ、国鉄長野駅に到着。信越線ホームに1421分発、直江津行普通電車 343Mが到着。最後尾にはクモユ143(東京直江津間下一護送)が併結されている。因みに郵袋の積み下ろしは、長野駅は、スペースがない為、隣の北長野駅の荷物専用ホームで行われる。全車郵便車両であるが、郵袋量は少ない為、ガランとした雰囲気。鉄道輸送もいよいよ終焉の気配を感じるが、1点興味深い点があり、郵便室内に郵便小包が数箱、そのまま置かれている事だ。護送便は、締め切り郵袋のみのはずであるが、この状況なら、消印漏れを発見すると抹消印を使用することも有り得る。

車内で使用の日付印 4 便。(C : 東長 とは、乗務区間が隅田川駅北長野駅間を意味する。北長野直江津間は締切便で無人となる。)

↑長野鉄郵局本局で使用の予備印

  長野駅を出て、次に長野中央郵便局へ行き、収友に差し出す今回の記念エンタイア(定形封筒に20円切手縦3枚連他)に機械日付印を押印依頼。上2枚に消印がかかり、3枚目の1枚の切手は機械印からはずれるよう貼付けしている。その3枚目の切手に、長野鉄郵の抹消印を押印して、そのまま送付依頼する予定。

↑長野鉄郵局舎 2階建で規模はかなり大きい

抹消印、未納不足印の実逓エンタイア。抹消印は、楷書体、明朝体の2種類あり 

長野中央局を出て、長野駅をはさんで線路の反対側で、距離はかなり遠いが、長野鉄道郵便局へ移動。

長野鉄郵局は局舎は大きく、昨年、昭和591月末に大半の鉄郵印が廃止となり、現在は東京直江津間の護送便上下各2便のみが存続。局内には郵便課が新設され、38地域の地域区分事務を受け持っている。

したがって、区分作業中、消印漏れを発見した場合、「長野鉄郵」の抹消印が使用されるわけで、鉄郵取扱便なき現在も、鉄郵局の抹消印は現役で活躍しており、長野鉄道郵便局という表記の未納不足印も使用されていた。

なお、翌年昭和61228日、一足早く東京直江津線は廃止となり、930日には鉄郵局は全廃となり、10月より、輸送郵便局という組織に変更されていく事になる。

(完)

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